夢から醒めた気がした

 おや/\、俺は今川瀬と、何の話をしてゐたのだつたかな――純吉は、夢から醒めた気がした。(あゝ、さうだつた、俺はさつき好い加減な出たら目を川瀬に話してゐたんだ。)「うむ、書き続ける気だ。」純吉は、意味あり気にうなつた。 実際彼が、さつき川瀬に、小説が書けないで困つたことを材料にした小説を、もう一ト月も前から書きかけてゐるなどゝ云つたのは、嘘だつた。それは悉く彼の、虚飾なのだつた。そんなことでも云へば、自分が以何にも思慮深く、そして執筆に相当の苦心をする如く思はれるだらう、そしたらいくらか重々しく見られるだらう――それ程低い程度の純吉だつた。だから彼は、友達から、「君は、書くことが速いか? 遅いか?」などゝ訊ねられると、「斯う遅筆ぢや困つたものだ。」と答へるのが常だつた。彼は、四五日前父に関する思ひ出を脱稿してゐた。想像力の鈍い彼には、それを書いたら、すつかり頭がから[#「から」に傍点]で、更に小説などゝは思ひも及ばなかつた。「これから僕は如何《どう》したらいゝだらう、この小さな体を持てあました。君は多芸だから羨ましい。」純吉は、沁々と云つた。「テニスでもやれよ。」「嫌ひなんだ。」「そのうちまた何か始まるだらう。」「始まるかしら? 然し何か生活に色彩か変化を欲しいことだ、どんな些細なことでもいゝから――」「君は小説の方程式を知らないから――」「小説も何もないんだ。」「それが好くないんだよ、その癖が。――だから斯んな場合に沁々と勉強し給へよ、方程式を呑み込んでしまへば、二つや三つ小説を書いたからツて、ビク[#「ビク」に傍点]ともしなくなれるよ……解る?」「解るやうにも思へるし……」純吉は、滅入りさうな声で「本を読むことすら斯う嫌ひでは救はれぬことだ。」などゝ云つた。「斯んなことばかり云ふのは笑はるべきで、寧ろ重々卑しいが、俺の心には大きな風穴があいてしまつた。トンネルのやうにガラン洞で、落寞としてゐる、いやこれは生れつきだ、此奴親父をきつかけにして、いろんな風に媚びたり甘えたりしてゐるに違ひない。」……」

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