案外芝居でもないらしく

「僕がね、僕がね……」純吉は、上ツ調子ではあるが、重苦しく妙に吃つて「その僕がね、実は、もう一ト月も前から書きかけて、そして行き悩んでゐる小説といふのが――だ。つまり、その、例の、小説に書くことがなくて閉口してゐることを取材にした小説なんだ。……斯んなことは毛頭云ひたくない、君がさつきからあまり親切ごかしに責めたてるので、恥を忘れて口外するんだ。」 純吉の様子は案外芝居でもないらしく、そつと面を反らせてゐた。さうなると相手の心を静かに汲み取り、そして自分も薄ら甘い何かに咽び入る性質の川瀬は、横を向いて困つた笑ひを浮べた。「親父のことで、感傷的になることは仕方がないが、その感傷に浸つて、強く回想して、更に書くことも薬だと思ふ。」父を喪つて以来稍ともすれば子供ツぽい感情の脆さを現したがる純吉に、川瀬はさうとでも云ふより他はなかつた。「いつか僕は、君に、もうあれはお終ひだ、とはつきり云つた。(不孝の子)を書いた時には、全くさういふつもりだつた。既に世になき者の幻を追ふたりすることは、此頃の僕の評価にてらすと避けなければならないのだ。」「さういふ評価でもつくらずには居られないだらう。」「そんな同情をされても困るが――」「好い加減にしろ、愚痴は止して貰はう。」「親父のことはもうお終ひだと云ひ、そしてそんな評価とかなどを拵へたりしながら――彼奴[#「彼奴」に傍点]は何といふ虫の好い小僧だらう。」純吉はそんなに呟いで、変に無気になつて苦い唾を吐いた。「彼奴[#「彼奴」に傍点]といふのはこの俺のことだ。それにも関はらず、いけ図々しい甘ツたるさを振りまいて、彼奴はまた親父のことを書きやアがつた、つい此間! 然も長たらしく! 恥知らず奴! 文学とは何だ、小説もないもんだ。自分で自分のことを(不孝な子)が聞いてあきれる――三千尺の地下に静かに眠つてゐる父へ、またしても呪はれたる愚かな双手を差し延べるとは何事だ。」さう思つて胸を掻き※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]る思ひにされた時、ふつと彼は、(それにしても、あの騒々しい親父が、斯うも急にぴつたりと鳴りを静めたかと思ふと、何といふアツケないことだらう、恰で花火のやうぢやないか。)そんなキヨトンとした心が白く浮んで、危ふく失笑するところだつた。「おい/\。」と川瀬が彼の肩を叩いた。「小説が書けないで困ることを取材にして書きかけた小説ツて、どんなことなんだ、悄気たりしないで書き続けたらいゝぢやないか?」

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