昼間の約束

「遅いんですよ/\、それに昼間の約束を忘れやしないでせうね。」「あの歌でさへなければ、好いだらう。」 夫がさう、きつぱりと云ふと周子は一寸好奇心を動かせた。(あの他にどんなことを知つてゐるだらうかな?)「家の中でゞも自由が許されないといふのか。昼間も家《うち》でのう/\[#「のう/\」に傍点]とするわけには行かないのか、運動の為に逆立ちをするのが何が悪い。」「みつともないですよ、運動なら運動らしいこと、歌なら歌らしいこと……」「くどいぞ! ……あゝ、酔つた/\。」 わけもなく滝野は、そんなことを云つた。「馬鹿にするない。」「あゝいふ風に心が曲つてゐる!」「何だつて出来るぞ。」「ぢややつて御覧なさい、勝手におやりなさい――だ。」 滝野は、ふら/\と立ちあがつた。「よしツやつて見よう。踊りでも踊つて見ようか。」「トンボ踊りは御免ですよ。」 二人とも喧嘩口調で、そんな馬鹿/\しい会話を取り交した。トンボ踊りといふのは、滝野が酔つた時自分で出たらめに名付けた出たら目の踊りで、口笛を吹いて、両腕を延して、爪先で立ちあがり、漫然と部屋のなかを彼方此方に浮遊する割合に静かな遊戯だつた。遊戯中に、首全体を蜻蛉の眼玉になぞらへてクリクリと回転させたり、軽く尻もちをついて、蜻蛉が水の上に産卵する光景を髣髴させたり、高く舞ひ、翻つて低く飛び、鳶の如く悠々と翼を延し、黙々として青空の下を遊泳する趣きを、見る者に感ぜしめるのだつた。 立ちあがつた彼は、その得意の舞を演ずるつもりだつたが、拒絶されたので、はたと行き詰つた。「それぢや俺は、一体何をやつたらいゝんだ。」 彼は、口を突らせて不平さうに呟いた。「知りませんよツ! あゝ、眠い/\。」

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