芸術の話

「僕は、夜といふものに対して不思議な感覚をもつてゐます。」「――」周子は、解るといふ風に点頭いた。解らないのだが、さうしないと軽蔑されるやうな惧れを感じたから。「滝野、君も古くから昼と夜とを転換してゐる生活を持つてゐるらしいが、君はどうだ、君は、昼と夜と、どつちの世界にほんとうの自分自身の姿を発見する?」「僕は――」滝野は突拍子もない声を挙げたが、そのまゝグッグッと喉を鳴して口ごもつた。(態ア見やがれ)周子はそんな気がした。そして滝野は、ごまかしでもするやうに盃の手を早めながら、周子を顧みて、「おい、酒を早く、酒を早く――。何だ斯んな処へ出しやばつて――」と叱つた。「芸術の話をしようといふから、寄つたんだよ。」「僕に出来ることは何だらう。」滝野はまたもごまかすやうに話を避けて「斯う生活も気分も行き詰つてゐては何うすることも出来ない、何かを沁々と習ひたいものだ。」などゝ上ツ調子に喋舌つた。「君は、さつき何とか君の愛誦する詩を朗吟したな、何だつたかね、もう一辺やつて見て呉れ。」「ヴヱルレーヌの秋の唄だよ。」「あゝ、さうさう、すゝりなくヴァイオリンの音とか云つたね。」「ヴ※[#小書き片仮名ヰ、132-11]オロンだよ。――君、西洋音楽でも習つたらどうだ。」「好ささうだな。」「それが好い/\、あたしも一緒に習つてもいゝ。」と周子が云つた。 詩人が帰つてしまふと、滝野は何となく不機嫌だつた。そして、更に独りで酒を飲み続けた。「ほんとうにあなた、西洋音楽でもお習ひなさいよ、此処を引ツ越したら。」「まア考えて置かうよ。――さて、ひとつ歌でもうたはうかな。」

— posted by id at 11:16 am  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.0955 sec.

http://infogorilla.jp/