丁寧に客に挨拶して

「そして、歌でもうたはうか。」「歌は御免だ。」(あたしばかりぢやない、誰だつて参つてゐるんだ。)周子はさう思ふと、ちよつとその[#「その」に傍点]人も入つて来れば好いがなと、思つた。「さア行かう/\、担いでツてやらうか。」「担げるものか。」「担げるとも。」「ぢや担いで見ろ。」「よし来た。――何でエこんなもの、……よウいこら! よんやこら。」 ガタ/\と具合の悪い戸を開けたり、桓根に突き当ツたりしながら、滝野は周子の見知らない客を伴れて入つて来た。滝野の胸は、裸体に近い程はだけてゐた。 周子は、丁寧に客に挨拶して、迷惑を詫びた。いつも行き来してゐる酒飲みの友達ならさうもしなかつたが、その日の客は余り酒にも酔つてゐないらしく、身だしなみの好い洋服を着て、胸にはボヘミアンネクタイを房々と結んでゐた。話の様子で察すると、滝野の学生時分の知人らしく、そして有名な詩人であるらしかつた。「あゝ、夜は更けた、もう間もなく秋だ。」 食卓の前に坐ると詩人は、溜息のやうな嘆息を洩して、長い髪の毛を掻きあげた。周子は沁々と詩人の様子を打ち眺めて、いゝな[#「いゝな」に傍点]! と思つた。「久し振りに会つた滝野に、今日は酷い目にあはされました。」「あなたは、そんなにお酒なんてめしあがれないんでせう。」「えゝ、甘い西洋酒位いのものです、夜仕事をする時には、上等のウヰスキイを少量、二三滴紅茶に滴します、さうすると繊細な神経が青白く輝きます。」「まア、好いですわね。」

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