セメント樽から箱が出る

「何だろう?」と彼はちょっと不審に思ったが、そんなものに構って居られなかった。彼はシャヴルで、セメン桝《ます》にセメントを量《はか》り込んだ。そして桝《ます》から舟へセメントを空けると又すぐその樽を空けにかかった。「だが待てよ。セメント樽から箱が出るって法はねえぞ」 彼は小箱を拾って、腹かけの丼《どんぶり》の中へ投《ほう》り込んだ。箱は軽かった。「軽い処を見ると、金も入っていねえようだな」 彼は、考える間もなく次の樽を空け、次の桝を量らねばならなかった。 ミキサーはやがて空廻《からまわ》りを始めた。コンクリがすんで終業時間になった。 彼は、ミキサーに引いてあるゴムホースの水で、一《ひ》と先《ま》ず顔や手を洗った。そして弁当箱を首に巻きつけて、一杯飲んで食うことを専門に考えながら、彼の長屋へ帰って行った。発電所は八分通り出来上っていた。夕暗に聳《そび》える恵那山《えなさん》は真っ白に雪を被《かぶ》っていた。汗ばんだ体は、急に凍《こご》えるように冷たさを感じ始めた。彼の通る足下《あしもと》では木曾川の水が白く泡《あわ》を噛《か》んで、吠《ほ》えていた。「チェッ! やり切れねえなあ、嬶《かかあ》は又腹を膨《ふく》らかしやがったし、……」彼はウヨウヨしている子供のことや、又此寒さを目がけて産《うま》れる子供のことや、滅茶苦茶に産む嬶の事を考えると、全くがっかりしてしまった。「一円九十銭の日当の中から、日に、五十銭の米を二升食われて、九十銭で着たり、住んだり、箆棒奴《べらぼうめ》! どうして飲めるんだい!」 が、フト彼は丼の中にある小箱の事を思い出した。彼は箱についてるセメントを、ズボンの尻でこすった。 箱には何にも書いてなかった。そのくせ、頑丈《がんじょう》に釘づけしてあった。「思わせ振りしやがらあ、釘づけなんぞにしやがって」

— posted by id at 11:07 am  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.1924 sec.

http://infogorilla.jp/