黒漿《おはぐろ》の剥げた穢い歯

『何有《なあに》ハア、俺《おら》みたいな悪党女《あくたうをなご》にや神様も仏様も死《くたば》る時で無《ね》えば用ア無えどもな。何だべえせえ、自分の居《を》ツ家《とこ》が然《そ》でなかつたら具合《ぐあえ》が悪かんべえが? 然《そ》だらハア、俺《おら》ア酒え飲むのさ邪魔さねえば、何方《どつち》でも可《い》いどら。』と、お由は、黒漿《おはぐろ》の剥げた穢い歯を露出《むきだし》にして、ワツハヽヽと男の様に笑つたものだ。鍛冶屋の門《かど》と此の家の門に、『神道天理教会』と書いた、丈《たけ》五寸許りの、硝子を嵌《は》めた表札が掲げられた。 二三日経つてからの事、為様事《しやうこと》なしの松太郎はブラリと宿を出て、其処此処に赤い百合の花の咲いた畑径《はたけみち》を、唯一人東山へ登つて見た。何の風情もない、饅頭笠《まんぢうがさ》を伏せた様な芝山で、逶※[#「二点しんにょう+施のつくり」、第3水準1-92-52]《うねくね》した径《みち》が嶺《いただき》に尽きると、太い杉の樹が矗々《すくすく》と、八九本立つてゐて、二間四方の荒れ果てた愛宕神社の祠《ほこら》。 その祠の階段《だん》に腰を掛けると、此処よりは少許《すこし》低目の、同じ形の西山に真面《まとも》に対合《むかひあ》つた。間が浅い凹地《くぼち》になつて、浮世の廃道と謂つた様な、塵白く、石多い、通行《とほり》少い往還が、其底を一直線《ましぐら》に貫いてゐる。両《ふたつ》の丘陵《おか》は中腹から耕されて、夷《なだら》かな勾配を作つた畑が家々の裏口まで迫つた。村が一目に瞰下《みおろ》される。 その往還にも、昔は、電信柱が行儀よく列んで、毎日|午《ひる》近くなると、調子面白い喇叭《ラツパ》の音を澄んだ山国《さんごく》の空気に響かせて、赤く黄く塗つた円太郎馬車が、南から北から、勇しくこの村に躍込んだものだ。その喇叭の音は、二十年来|礑《はた》と聞こえずなつた。隣村に停車場が出来てから通行《とほり》が絶えて、電信柱さへ何日しか取除《とりのぞ》かれたので。 その時代《ころ》は又、村に相応な旅籠屋《はたごや》も三四軒あり、俥も十輛近くあつた。荷馬車と駄馬は家毎の様に置かれ、畑仕事は女の内職の様に閑却されて、旅人|対手《あひて》の渡世だけに収入《みいり》も多く人気も立つてゐた。夏になれば氷屋の店も張られた。――それもこれも今は纔《わづ》かに、老人達《としよりたち》の追憶談《むかしばなし》に残つて、村は年毎に、宛然《さながら》藁火の消えてゆく様に衰へた。生業《なりはひ》は奪はれ、税金は高くなり、諸式は騰《あが》り、増えるのは小供許り。唯《たつた》一輛残つてゐた俥の持主は五年前に死んで曳く人なく、轅《かじ》の折れた其俥は、遂この頃まで其家《そこ》の裏井戸の側《わき》で見懸けられたものだ。旅籠屋であつた大きい二階建の、その二階の格子が、折れたり歪んだり、昼でも鼠が其処に遊んでゐる。今では三国屋といふ木賃が唯一軒。 松太郎は、其※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57]《そんな》事は知らぬ。血の気の薄い、張合の無い、気病《きやみ》の後の様な弛《たる》んだ顔に眩《まぶし》い午後の日を受けて、物珍らし相にこの村を瞰下《みおろ》してゐると、不図、生村《うまれむら》の父親《おやぢ》の建てた会堂の丘から、その村を見渡した時の心地が胸に浮んだ。

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