久しぶりで湯島の方へ帰って行った

     二十二

 お庄は久しぶりで湯島の方へ帰って行った。もといた近所を通って行くのはあまりいい気持でもなかったし、母親の顔を見るのも厭なような気がして、お庄は日蔭もののように道の片側を歩いて行った。昨夜《ゆうべ》お鳥のところへこの間の話の人にいい口があると言って、浅草の方から葉書で知らせて来た。先方は食物屋《たべものや》で、家は小さいけれど、客種のいいということは前からもお鳥に聞かされていた。それに忙《せわ》しいには忙しいが芸者なども上って、収入《みいり》も多いということであった。体が大きいから、年などはどうにもごまかせると言って、お鳥は女文字のその葉書を見せた。お庄は何だか担《かつ》がれでもするようで、こわかったが、行って見たいような心がしきりに動いた。お庄はもう半分、ここにいる気がしなかった。 下宿へ入って行くと、下の方には誰もいなかったが、見馴れぬ女中が、台所の方から顔を出して胡散《うさん》そうにお庄を眺めた。そこらはもう薄暗くなっていた。 母親は二階の空間で、物干しから取り込んだ蒲団の始末をしていた。窓際に差し出ている碧桐《あおぎり》の葉が黄色く蝕《むしば》んで、庭続きの崖《がけ》の方の木立ちに蜩《かなかな》が啼《な》いていた。そこらが古くさく汚く見えた。お庄は自分の古巣へ落ち着いたような心持で、低い窓に腰かけていた。「阿母《おっか》さん、私お茶屋などへ行っちゃいけなくて。」お庄は訊《き》いた。 母親は畳んでいた重い四布《よの》蒲|団《とん》をそこへ積みあげると、こッちを振り顧《かえ》って、以前より一層肉のついたお庄の顔を眺めた。「お茶屋ってどんなとこだか知らないが、堅気のものはまアあんまり行くところじゃあるまい。」「ちゃんとした家なら、行ったっていいじゃないの。」

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