殺人がイヤになって仕舞いました

 景岡秀三郎は、もうすっかり殺人がイヤになって仕舞いました。熱し易い一方、とても冷め易いのです。考えて見れば何もセッパ詰った訳でもなし……こうなると彼のぐずぐずの心は二度と振い立たないのでした。(こんなトリックを思いついたばかりに、却って身を滅ぼすところだった――) 秀三郎は、又ごろんと寝椅子にころがると、チェリーの缶に手を差しのべたのでした。

      四

 頭の上の浴槽の中には五六人の女たちが、立ったり屈《かが》んだりして、いい気持そうに浴《ゆあみ》しています。横の腰掛けに腰をかけている女のお尻が、お供餅の様に尨大で、よく見ると月世界の表面のように、ポツポツの凹凸があったり……、銅像を下から覗《のぞい》た時のように妙に背丈《せい》の高さの判別がつかなかったり……、時々指環を篏《は》めた手が、腿の辺まで下りて来て、ぼそぼそと泡を立て乍ら掻いたり……。そしてそれらの手の間○○○、○○○を白い手拭がふらふらと、又、ひらひらと、オットセイのように泳ぎ廻るのでした。 景岡秀三郎は、この方がいい――というように、頸を振って口の中にはいったチェリーの粉をペッペッと排《は》き乍ら、狂いそうなウレシサ、とてもたまらないタノシサ――を感じていました。

 足利時代が多くの歴史家からして極めて冷淡な待遇を受け、單に王室の式微なりし時代、將た倫常壞頽の時代とのみ目せられて、甚無造作に片付けられて居つたのは、由來久いことである。されば若し此時代に特有なる出來事として、後世の研究者の注意を惹いたものがあるとすれば、それは書畫、茶湯、活花、又は連歌、能樂等に關係した方面に興味を持つた場合であるので、一口に之を評すれば骨董的興味から觀察した足利時代であつたのである。足利時代が抑も我國史上如何なる地位を占め、其前後の時代と如何なる關係を有して居るか、又今迄知られてあるものゝ外に、尚ほ同時代に於て史家の注意を惹くに足るべき題目の有無如何等に至りては、あまり深く講究されては居らなかつた。換言すれば足利時代史の眞相といふものが未だ充分に發揮せられて居なかつたと云つてよい。

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