作りたいとき作る

「どうも思わない。作りたいとき作る。まあ、食いたいとき食うようなものだろう。」「本能かね。」「本能じゃあない。」「なぜ。」「意識して遣っている。」「ふん」と云って、小川は変な顔をして、なんと思ったか、それきり電車を降りるまで黙っていた。 小川に分かれて、木村は自分の部屋の前へ行って、帽子掛に帽子を掛けて、傘を立てて置いた。まだ帽子は二つ三つしか掛かっていなかった。 戸は開け放して、竹簾《たけすだれ》が垂れてある。お為着《しき》せの白服を着た給仕の側を通って、自分の机の処へ行く。先きへ出ているものも、まだ為事《しごと》には掛からずに、扇などを使っている。「お早う」位を交換するのもある。黙って頤《あご》で会釈するのもある。どの顔も蒼《あお》ざめた、元気のない顔である。それもそのはずである。一月に一度位ずつ病気をしないものはない。それをしないのは木村だけである。 木村は「非常持出」と書いた札の張ってある、煤色《すすいろ》によごれた戸棚から、しめっぽい書類を出して来て、机の上へ二山に積んだ。低い方の山は、其日々々に処理して行くもので、その一番上に舌を出したように、赤札の張ってある一綴《ひとつづり》の書類がある。これが今朝課長に出さなくてはならない、急ぎの事件である。高い方の山は、相間《あいま》々々にぽつぽつ遣れば好い為事である。当り前の分担事務の外に、字句の訂正を要するために、余所《よそ》の局からも、木村の処へ来る書類がある。そんなのも急ぎでないのはこの中に這入っている。 書類を持ち出して置いて、椅子《いす》に掛けて、木村は例の車掌の時計を出して見た。まだ八時までに十分ある。課長の出勤するまでには四十分あるのである。 木村は高い山の一番上の書類を広げて、読んで見ては、小さい紙切れに糊板《のりいた》の上の糊を附けて張って、それに何やら書き入れている。紙切れは幾枚かを紙撚《こより》で繋《つな》いで、机の横側に掛けてあるのである。役所ではこれを附箋と云っている。

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