日出新聞社が懸賞で脚本を募ったとき

 日出新聞社が懸賞で脚本を募ったとき、木村は選者になった。木村は息も衝《つ》けない程用事を持っている。応募脚本を読んでいる時間はない。そんな時間を拵《こしら》えるとすれば、それは烟草休《たばこやすみ》の暇をそれに使う外はない。 烟草休には誰《たれ》も不愉快な事をしたくはない。応募脚本なんぞには、面白いと思って読むようなものは、十読んで一つもあるかないかである。 それを読もうと受け合ったのは、頼まれて不精々々《ふしょうぶしょう》に受け合ったのである。 木村は日出新聞の三面で、度々悪口を書かれている。いつでも「木村先生一派の風俗壊乱」という詞が使ってある。中にも西洋の誰やらの脚本をある劇場で興行するのに、木村の訳本を使った時にこのお極《きま》りの悪口が書いてあった。それがどんな脚本かと云うと、censure《サンシュウル》 の可笑《おか》しい程厳しいウィインやベルリンで、書籍としての発行を許しているばかりではない、舞台での興行を平気でさせている、頗る甘い脚本であった。 しかしそれは三面記者の書いた事である。木村は新聞社の事情には※[#「目+(離れたくさかんむり/(罘-不)/冖/目)」、U+77D2、121‐8]《くら》いが、新聞社の芸術上の意見が三面にまで行き渡っていないのを怪みはしない。 今読んだのはそれとは違う。文芸欄に、縦令《たとい》個人の署名はしてあっても、何のことわりがきもなしに載せてある説は、政治上の社説と同じようなもので、社の芸術観が出ているものと見て好《よ》かろう。そこで木村の書くものにも情調がない、木村の選択に与《あずか》っている雑誌の作品にも情調がないと云うのは、木村に文芸が分からないと云うのである。文芸の分からないものに、なんで脚本を選ばせるのだろう。情調のない脚本が当選したら、どうするだろう。そんな事をして、応募した作者に済むか。作者にも済むまいが、こっちへも済むまいと、木村は思った。 木村は悪い意味でジレッタントだと云われているだけに、そんな目に逢《あ》って、面白くもない物を読まないでも、生活していられる。兎《と》に角《かく》この一山《ひとやま》を退治ることは当分御免を蒙《こうむ》りたいと思って、用箪笥の上へ移したのである。 書いたら長くなったが、これは一秒時間の事である。

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